車輌説明


阪急最初の冷房車。1970年(昭和45年)に登場し、翌1971年(昭和46年)までに25両が
製造されました。
計画段階当初は、5000系の増備車として製造される予定でしが、現在の形式で登場。
(しかし5000系増備車としての意図は変わらず。)
この車輌群は量産型冷房搭載車ではなく、試作型冷房搭載車として登場したため、
屋根部にダクトを通すために70mmほど高くなっています。
その為に他形式より、屋根部が尖ったような印象を受けます。
冷房方式は、主に集中式と分散式の二方式が当時主流だったのですが、阪急の冷房方式は
5200系を含めた全車両が、これら二つの良い点を併せ持った集約分散式と呼ばれる方式を
採用しています。
冷房装置は、8000kcal/hのものをパンダグラフ付き車輌は4機、パンダなしは5機搭載して
います。
しかしパンダなし車輌の一つはダミー(カバーのみで冷房機器を搭載していない。)です。
ただしそれは第2次車両以降の話で、第一次車両はカバーの数のとおりの5機搭載しています
そしてこれらの特徴が他の5000系列との見分けるためのポイントでした。
現在、阪急で広く採用されているクーラーは、10500kcal/h×3機(8200系のみ4機)で、
5200系で採用された8000kcal/hは、2800系、5000系、5100系、5300系にて採用されています
(ただし、2800系のパンタグラフ搭載車と5300系の1975年以降の製造車輌は、10500kcal/h×
3機搭載している。)
性能面では、5000系とほぼ同じ性能を持っているために、一時期は5000系に編入されていた
車輌もあったくらいです。
台車も5000系で採用されたものを車軸を太くしだけのものを使用しています。
この台車は、阪急8000、8300系の初期生産型まで採用されています。
(5200系がはいていた一部の台車は、8000系車輌に流用されています。)
運用面ですがラッシュ時の増結用に車輌と、本線運用車両の2つに分けて使用されていました
その後、ラッシュ時の増結車両が、6000、7000系にとって変わり始めると、増結用車両達は、
間に中間車を挟んで神戸本線や、支線の今津線に使用され始めます。
ただ、電動車の比率が高かったために中間付随車(モーターを搭載していない車輌の事。)と
して、2000系、京都線元特急車輌の2800系の各中間車輌を編入していました。
そして8000系の増備が進んだことにより、1992年(平成4年)から廃車が始まりました。
1994年頃までには、半数の23両が廃車となり(このときどの車両から廃車されていったかは
調べきれませんでした。)、1997年には今津線で運用されていた5203F(間に2800系車両を
はさむ珍しい編成。)が廃車となりました。
そして最後に残った2編成(5201×4、5230×4)は、ひっそりと余生を送るように伊丹、今津線
で運用されていましたが、1998年後半ごろから、山陽電鉄との乗り入れ運用の縮小に伴う運用
本数の見直にて、車両編成の余剰が発生するために休車扱いされて、最初は5201×4が宝塚線
の平井車庫に疎開することになりました。
それから間をおいて、5230×6も平井車庫へと疎開のため回送されたということです。
そして1999年12月、5230×4が正雀工場へ回送されていきました。これは廃車のためではなく、
1年以上留置されていた5201×4がちゃんと動くかどうか不安な為、5230×6が牽引することに
なり、間にはさんでいる2000系を正雀で切り離し作業を行うためです。
切り離しを行った後、平井車庫へと戻り5201×4を連結し、正雀工場まで牽引していきました。
このとき数年振りに見られる5200系最後の8連となりました。
そして、製造開始から30年となる2000年1月に社内の鉄道同好会主催によるさよなら運転を
正雀車庫にて行い、その後廃車扱いとなりました。
なお5200系の前面は、他形式に見られるような行き先表字幕装置などの工事を全車行わず、
登場時ままの状態で、姿を消していきました。


5200系をたずねて・・・・・。


昔、写真を撮ろうと伊丹線、今津線に出向いた事があったのですが、うん悪く運用されて
いませんでした。
そして今回、1月に廃車となったといっても実際に解体するまでには時間がかかる。
と言うわけで、2000年の2月26日に、まだあるかどうか正雀に確かめにいったのですが、
解体場所に同じ日に廃車となった3100系が(2000系もいた。)側面の車体番号を切り取り、
前面の電球や使えそうな部品を取り外したあまりお目にかかりたくない状態で放置されて
たたずんでいました。
そして同車庫内を外からぐるりと回ってみたのですが、全面改修工事で、色や窓などをは
がされた状態の5300系だと思われるものを発見したのみ。
(解体する車輌は、色もはがさず、後で鉄道部品を売る時のために、売れそうな部品と車体
番号部分を切り取ってそのまま解体するので間違いなく5300系だと思う。)
その後工場内を外から出来る限りみまわしてみたのですが、それらしい姿は見られませんで
した。他の方の情報によれば車庫内にいるとの事ですが、会えませんでした。
(非常に残念です。)
解体され無惨な状態にあえなくて少しほっとしたようなそれでも見たかったような非常に複
雑な気持ちでした。
*26日に行った時に撮った写真を5200系 鉄道写真のところに入れています。
*車庫内の5200系の写真を入手しました。3/10撮影のものです。



写真館に戻る     阪急5200系特集に戻る